これは、特に今日の天皇杯についてのことではなく、日本のサッカー全般についてのことですが、「シュートうちやがれ」。若干いらつきが感じられる文ですが、ご容赦。なお、最初の投稿から書き直しました。
いつも見るシーン。 こねこねこねこねとパスをこねくりまわして、シュートチャンスがあるのに、相手を思いやってパス、スペースが空いてるのに、目先の協調性を思ってパス、ゴールが見えてるのに、チームの和を考えてパス、ゴールに向き合ったのに、自分で決着つけられなくてパス、で、結局シュートできずにボールを取られて終わり。あるいは、困ったから後ろにパス。
こういうどうでもいいような協調性をいったいどこで教えているのだろうか。
以前、NHK テレビ「英会話ドラマでリスニング」でやっていた BBC 製作の「GOAL!」という英語教材ドラマを見た。
主人公の中南米のとある国(特定されていない)からイギリスの名門チームにテスト生としてきた選手が、ある日、練習のミニゲームに出場した。そこで、自分が絶好のシュートチャンスを迎えたのに、仲良くなったチームメイト(くび寸前)にパスして、彼にシュートを決めさせた。それを見た監督は怒った。なんでそんなところでパスするんだと。自分がシュートできるんならしろと。
チームのためになるというのはそういうこと。 それをしなければ結局チームのためにならない。
我を通して本来やるべきことをやりましょう。
ストーリーではこのチームメイトは結局首になったが、自分の限界を感じていたので、納得して去っていきました。
そういえば、中田も「自己中」とかいわれていたころは、いいプレイヤーだったなあ。今やすっかり「自己」を抜かれて「中くらい」なのか……。
|